鹿児島をほぼ一周する旅で10年ぶりに訪れた!帰るたびに必ず訪れる場所である知覧特攻平和会館へ [鹿児島旅2008-2]

旅行

NHK大河ドラマ「西郷どん」(せごどん)の放送が始まりました。

そういえば昔に鹿児島に訪れたとき、島津斉彬が祀られている「照国神社」や鶴丸城(鹿児島城)へ行って写真を撮り記事にしていた。ところがブログをチェックしても出てこないので調べてみると、閉鎖したレンタルサーバにホームページとして掲載していたのでした。

もうネットでは存在していないことになっているので、この気儘電脳に写真や記事を再編集して掲載することにしました。

2008年に鹿児島へ訪れ「鹿児島ほぼ一周旅行2008」と題した記事で数回に分けて掲載していきますね。

まずは「鹿児島空港編(薩摩半島)」です。
 

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知覧特攻平和会館

結局「仙巌園」はパスしました。(^^ゞ

鹿児島市内から南下して「知覧特攻平和会館」に来ました。
ここは鹿児島に来る度に寄ってる場所なのです。

▲ 太平洋戦争末期、この地に陸軍の飛行場が設けられ沖縄への特攻基地となった場所です。その飛行場跡に特攻平和会館を中核とする公園が作られました。

写真は入り口なのですが桜の木が植わってます。4月頃は満開の桜で綺麗なんだろうなぁ。

▲ 特攻隊員の像の前で集合写真などの記念撮影が出来るようになってます。

▲ 特攻隊員の像の横には戦闘機が展示されてます。10年前に訪れたときにも展示されてたのですが、10年前の写真を確認すると機体が違う!!

古くなったので違うのに代えられたんでしょうねぇ。(^^;

▲ これが1998年9月に撮影した写真です。

▲ そしてこの戦闘機は、一式戦闘機「隼」です。

映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の撮影で使用された機体がここに展示されてます。

▲ 特攻平和観音堂へ行こうとしたら自衛隊員さんの集団がぞろぞろこっちに向かってくる。

ビックリしちゃったよ。(^◇^;
やっぱ現役の自衛隊員の人達もここへ訪れてるんですね。

そうそう、さっきの特攻隊員の像の前で記念撮影されてました(笑)

▲ この門柱は昭和16年にこの地に開校された「火刀洗陸軍飛行学校知覧文教所(のちに教育隊)」の正門で、終戦後は旧知覧中学校の正門として使用されてたようです。

特攻平和観音堂

▲ 特攻平和観音堂です。

ここに特攻で亡くなられた隊員の人達が祀られてます。実は昔こんな立派な建物じゃなかったんですよ。

▲ 10年前(1998年9月)はこのような建物でした。

三角兵舎

▲ 特攻平和観音堂の左隣には「三角兵舎」が復元展示されてます。

この三角兵舎は特攻隊の宿舎で、敵の目を欺くために松林の中に半地下壕を作り地上には三角の屋根しか見えない兵舎になっていました。

▲ ここは10年前と変わらない。変わってるのは木が太くなってることと、内部の布団の向きが変わってるぐらいですね。

知覧町護国神社

▲ そしてここが知覧町護国神社です。

▲ この場所は昭和18年10月8日にフィリピン沖で戦死した私の祖父や大叔父が祀られてる場所でもあるのです。

祖父の命日が2日前だったので、今年こそはどうしても鹿児島に行きたいと思いがあり旅行を計画しました。

知覧特攻遺品館

▲ ここが知覧特攻遺品館です。

今回は時間の関係で中には入りませんでしたが、中には当時使用されてた本物の戦闘機や、特攻隊員の遺品や家族に宛てた遺書などが展示されてます。

もし鹿児島に旅行で訪れることがあれば、是非この知覧特攻平和会館を訪れてみて下さい。戦争の真実がここにあります。そして戦争により戦死した家族への思いと悲惨さを実感する場所でもあるのです。

▲ ちなみに10年前の建物がこれで、増築したようで大きくて広くなっているようでした。

知覧茶

▲ 知覧はお茶の産地でもあるのです。薩摩の小京都とも言われているんですね。でもやっぱお茶と言えば「宇治茶」でしょ(笑)

▲ 南九州市は日本の市町村単位では生産量第1位の緑茶の産地らしいですよ。(2018追記)

▲ そして見つけました!知覧にもパラダイスが存在したのだ!

隼ラーメン

▲ 特攻平和観音堂の右隣にはラーメン屋が出来てた。これには驚いたな〜 なんとも不釣り合いな建物だしね。10年前には無かった。

昼飯食ってなかったので偵察がてら入ってみた場所的にも時間的にも客が居ない。。。

メニューを見ると「ラーメン」「みそラーメン」「ごはん」の3つしかありませんでした。

▲ とりあえずラーメンを注文しました。食べた感想は普通ですね。

でも思っていたよりも美味しかったと思います。
 

2018年の締めの一言

鹿児島に帰るたびに訪れている場所ですが、もし鹿児島を訪れることがあれば寄ってほしい場所でもあります。

遺品を見ていると心臓が締め付けられるような悲しい思いになりますが、若くして戦死された方々の最後の思いを感じてほしいです。